これは…現実だったのだろうか……それとも、幻影だったのだろうか…。 現実だとしたら、余りに話が出来過ぎていて…… 幻影だとしたら、その感覚は…確かすぎて…… |
未だ太陽の昇らぬ…暗き世界の中……… 私は見慣れない…わけでもないが、明らかにいつもと違う風景の中で……目を醒ました……。 見開いた私の眼に飛び込んできたのは……まだ光の射さない、暗き部屋の天井…。 ゆっくりと身体を起こして…辺りを見回すと……そこは…… 「…兄くんの…部屋…?」 何度となく水晶越しに見て…幾度か入ったことのあった……兄くんの部屋……。 その…南東隅に置かれたパイプベッドの上で……私は、眠っていたのだった…。 いまいち…私の置かれた状況を把握できないままでいると……私の足元で…兄くんが、心地良さそな顔つきで……眠っていた…。 「……兄…くん…?」 ゆっくりと、丁寧に…兄くんを呼びかけてみた……。 「………。」 しかし…兄くんは、私の呼びかけに応ずることなく……深く眠り続けていた……。 それは、余りにも無防備で……愛らしくさえあった……。 その、幸福そうに眠る柔らかな頬に…右手の指先だけ触れた…。 だが……私はそれに違和感を感じた…。 触れた頬は……柔らかだが……何処か、温もりを感じられなかった……。 その違和感に確証が持てず……体勢を整え、左手で頭を包みこむように…しっかりと触れてみた…。 やはり、冷たかった。 ある予感が……私の脳裏をよぎった……。 しかし、この時期は…暦は春とはいえ…まだ朝夕は冷え込む……。兄くんの冷たさもその影響だろう……と、その予感にかぶりを振った……。 兄くんに……私の半身である兄くんに…そんなことが起こるはずは……ない……。 私は……依然として眠ったままの兄くんをそのままにし……帰ることにした…。 私はまだ……何故自分がこの部屋にいるのかすら、掴めていなかったのだ……。留まっている必要は…なかった……。 どうやら荷物も無いらしく……兄くんが目覚める前に、私はその部屋を…そっと後にした……。 外に出ると……弱い朝焼けの光が、私を迎えた……。 まだ、地平より出て数分しか経たぬ光を浴びて……私は歩を進めた…。 歩みつつも、私は何故…あの部屋のいたのかを思い出していた……。 しかし、考えても考えても……ある部分からプッツリと…私の記憶は途切れていた……。 昨日届いた手紙を……開けた瞬間から……。 あの手紙……一体何が書かれていたのだろう……? 疑問ばかりが…頭をよぎる……。 朝日が完全に顔を出しきった頃……やっと家に戻ってきた……。 いつもと何ら変わらぬ状態だった。 誰もいない、無人の我が家に入り……どこか急ぎ足で…自室へと戻った……。 内心、私は気になっていたのだ……その手紙の、思い出せぬ正体を…。 はたして、その手紙は……私の部屋の机に…造作も無く、置いてあった…。 私の部屋らしく、落ち着いた周囲に比較して…やけに不自然な置かれ方をしたそれには……ひどく短く、簡潔な文が書かれていた…。 『今日の夕刻五時、 差出人も、消印すらも何も書いていない……果たし状めいた、ただの悪戯の手紙……。 そう、……いつもの私ならば…相手になどしない手紙……のはずである。 しかし、その文字に……私は見覚えがあった…。 …他でもない、兄くんの文字…。 私は無造作に手紙を置いて……朱住野公園へと走っていった…。 朱住野公園は…昭和に造られた古い団地の外れの小さな公園で……今は、遊ぶ子供など、全く見受けられなくなり…捨てられた公園である…。“果たし状の決闘”をするならば……ここは適した場所だ…。 …私は息を切らして、そこの公園の看板へと身を預けた。 今になって駆けつけたって……昨日のこと、故にもう遅いことは…わかっていた……。 なのに、感情に流され…ここまで急いた…。兄くんに関わることと…そう思うと……。 昨日の私も……きっとそうなのであったのだろうか……? 呼吸を落ち着けると…私はゆっくりと、公園の内側の縁を歩いた……。 とはいえ、規模は高が知れているため……一分と経たぬ内に一周することができる…はずだった……。 公園の一番奥にある錆付いた台……所謂、朝礼台に……ある異変さえなければ……。 それは、血痕だった……。 その瞬間、思い出したのは……昨日、今日と同じ様に駆けつけた私……。 そしてまた…今日と同じ様に内側の縁を歩く私……。 朝礼台にさしかかり……入口の側へと向きを変えた……次の刹那。 頭部に鈍い痛みを感じながら…私はあっけなく、地面へと昏倒した……。 避けられなかった……気配は何も、感じ取れなかった…、 薄く瞳を開け、視えた先には……何処からか、何か声を上げながら私の前に背を向け立ちはだかる…兄くんの姿と……対峙した影…。 影は、兄くんの嘆きにも似た叫びを聞くと…棒状の物質を振り上げ、下した。 そこで、記憶は止まった。 その怪我によるものだろう頭部の疼きに…今更気づき、頭を抱えた…。 その時、私は怪我を保護するように巻かれた包帯の存在に…やっと気づいた……。 気づいたのは、それだけではない……。 兄くんは……? 兄くんの家…兄くんの部屋に、先刻よりも速さを上げて…飛び込んだ……。 らしくもなく、乱れたまま……。 そして、飛び込んだ先の部屋には……机と、箪笥と、寝台だけ……。 兄くんの姿は……何処にもなかった……。 部屋の何処にも……存在しなかった……。 気配も…微塵とて感じなかった……。 力を抜かれたように……私はガクンと膝まづき…その場にへたり込んだ…。 私の脳に、様々な考えが浮かんだ…。 それは…目の前の事態を拒絶する……抽象的な想い……。 そして、それは…浮かんでは、あっさりと消えていった…。 私の頭を包むのは…兄くんが消えた喪失感…。 私の思考を支配するのは…兄くんを喪った虚無…。 余りにも、急すぎた。 受け入れることも、拒絶することも、何も出来ぬまま……私はそこに座り尽くしていた…。 時計の針は…いつの間にか日没の時刻を告げていた……。 私は今だ、絶望に暮れたままだった……。 眼を、閉じたままだった……。 何か、かすかに音がした…。 しかし、それを知覚しても…情報として捕らえようとはしなかった…いや、出来なかった……。 まるで、自分とは異なる世界の出来事ように……。 もう一度、音がした。 一回目よりも大きく…より、確かに……。 その音は…それに、意思を持つ音だった…。 その音は…幾度と無く聴いたことのある…それでいて、いつまでも新鮮に聴こえる音……。 その音は…こう、私に呼びかけていた……。 『ち』 『か』 『げ』 私を…そう呼ぶのは……ただ一人…。 顔を上げ、その声の発せられた方へと向けた…。 そして、私はその声の主を見て、言った…。 「………兄、くん………。」 その声は、自覚できるくらいに……安堵の感情を含んでいた…。 「千影ってば、僕が起きたらいなくなっちゃてるんだから…しんぱ……っ?!」 私は…兄くんのその台詞を最後まで聞かぬ内に……兄くんを抱き寄せた…。 「ち…千影……?」 「………暫く……こうさせてもらっても……いいかな…?」 兄くんは、私の問いに答えずに……私を、抱き返した…。 私は…気が落ち着くまで、兄くんを抱き締め続けていた……。 気がつけば……私は自分の棺の中だった…。 一体、あれは…現実だったのだろうか……それとも、幻影だったのだろうか…。 現実だとしたら……余りに話の都合がよすぎていた…。襲撃した人物についても……そうである…。 だが、幻影だとしたら………その鼓動は……吐息は……温もりは………感覚が、確かすぎていて……。 |
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