――或る時代、或る場所、乱れた世の片隅。 そこに、一人の青年がいた。 まだ、17になったばかりである。 美しく真っ直ぐな金髪にルビーのような双眸、背はさほど低くないが、女子と見紛うような容姿の青年。 彼は伝統ある家の次期当主として生まれ、裕福な暮らしをしていた。 が、冷え切った家族関係・人間関係に辟易し、言いも知れぬ不満を抱いていた。 そこに、一人のの少女がいた。 今年で、16になる。 くすんだ黒の癖の強い髪に琥珀色の目、少し背の低い凡庸な顔立ちの少女。 彼女は生まれて直ぐに親を亡くし、親戚中をたらい回しにされた揚げ句に捨てられ、そのまま奴隷市場へと売り運ばれた。 そして、彼女には恐怖心と猜疑心のみが残った。 二人共、“愛する”ことを知らなかった。 その彼がその彼女を見つけたのは、外出中に奴隷市場の目前を、偶然に通りかかったときだった。 彼は、何か――これを運命と言うのかもしれない――に引かれるように言った。 『私はティルディート家次期当主、昴=L=ティルディート。この、番号0129-91694……秋瑠=リィバルトを買わせてもらう。』 ……これは、そんな二人の物語のほんの一部。 主従となってからまだ日の浅い頃の……表舞台で語るには、あまりに小さすぎる逸話……。 |
コンコン。 ガチャ、ギイィ……。 「ご、ご主人さまぁ?」 少々古めかしい造りのドアが開き、その陰からひょっこりと、黒のヘッドドレスを付けた赤みがかった黒い頭が見えた。 少し怯えた感のある琥珀の眼をキョロキョロさせる少女……彼女が秋瑠である。 間を置いて、彼女の眼は目標を捉らえることができた。 部屋の右奥にある寝台の上に行儀よく眠る、金色の髪の青年……昴を。 「ご主人さま〜……お時間ですよ〜?」 秋瑠は部屋に入ると丁寧にドアを閉め、ゆっくりと眠る昴に近づいていった。 「ご主人さま、もうお起きにならないと遅れてしまいますよ……?」 昴の寝台の手前でひざまづくと、秋瑠は耳元で呟いた。 が、その口調には、急かすような意味合いは含まれていなかった。 正直、秋瑠は“起こす”行為が苦手だった。 以前の主は相当寝起きが悪く、朝が来る度に傷が一つ、二つと増えていた。 しかも、昴も朝が弱く、起きるまでに30分は要す、という噂が一族中に知られていた。 「お、起きてくださらないと困ります……」 意を決し、額に触れる。 モタモタしていては、いずれはメイド長――昴が買ったとは言え、秋瑠は一族のものだった――に叱られるのは、目に見えていた。 「ご主人さまぁ〜……!」 次第に語気は強まっていた。 が、昴が起きる気配は全くなかった。 「うぅ〜……やっぱり、やるしかないのでしょうか……?」 秋瑠は今まで昴を起こしたことがない。 幾度か挑戦したことはあったが、以前の昴の担当者だったメイドの見る元でやったため、ほぼ時間切れで終わってしまっていた。 で、そのメイドが必ずしていたのは…… 「……お、起きてください……ね?」 秋瑠は昴の手を取り、呟いた。 そして、その指先をゆっくりと、慎重に自分の口元へと運んだ。 「これでお起きになかったら……恥ずかしいのですからね……?」 と、羞恥で消え入りそうな声で言った。 そして、一息ついて覚悟を決める。 「……い、いきます……っ!」 秋瑠はギュッと目をつぶり、昴の人差し指の先を口内へと含んだ。 ピクリ、と中に動いた感覚があった。 「……っ!!?」 それから二秒。ガバッ、という擬音の似合う音を立てて、金髪の青年は跳び起きた。 「……ご、ご主人さま? お目覚めになられましたか……?」 跳び起きた主に驚いた秋瑠は、恐々と聞いた。 すると、昴は少々ぼんやりした、でもどこか無表情な感じをさせながら、秋瑠を見つめていた。 「……秋瑠?」 「あ! ご、ごごご御免なさい!!」 秋瑠は名前を呼ばれると、陸に揚がった魚の様に跳びはねて、平謝りした。 「べ、別に、そんなにならなくても……」 昴が言っても、秋瑠は頭を上げなかった。 代わりに出てくるのは、か弱く謝る声。 「すいません……私、出過ぎた真似をしました……しかし……私…………。」 服の裾をギュッと掴み、今に途切れそうな細い声で、言葉を紡いでいた。 「そんなに謝られてもねぇ……。」 当の昴は、半ば呆れていた。 彼女の恐怖心の根強さに。その原因を作った者たちに。 「ねぇ、秋瑠? 私が何故怒っているか、判る?」 昴は秋瑠に問うた。 「そ、それは……私がご主人さまの……その、指を……」 「違うよ。」 昴は、秋瑠の震えながら言った答えを、あっさりと切り捨てた。 「私、本当は怒っていないんだ。」 秋瑠はキョトンとした。 昴がまたもあっさりと、秋瑠の想像を否定したからである。 「なのに、何故怯えるの?」 その問いに、秋瑠は一度間を置いた。 「い、以前ならば……叱咤されるのでは、と思いまして……」 何故なら、奴隷が以前の話をするのは、タブーだからである。 「けれど、今は私の物でしょう?」 「はい?」 だが、昴はそれに全く触れなかった。 「もう私の所持物なのですから、以前など関係ないでしょう?」 秋瑠はただ、うなずくしかなかった。 この二年後、二人は家を出たという。所謂、駆け落ちである。 その間に何があったか、その後どうなったかは、また後に語るとしよう。 ただ、言えることは一つ。 彼等は今も、幸福だと。 ねぇ、秋瑠……。 お話は、ここで終わり。或る時代の或る場所の物語―― |
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