ー2003年5月8日木曜日、長野県更埴市ー 「朝……か。」 いつもと変わらぬ目覚ましの音を聞いて目を覚ます。部屋には春の麗らかな日が差し込んできている。 私はいつもどおりに、伸びをしてから制服に着替え、居間に向かった。 居間に着き、いつもどおり予めテーブルの上に置かれたパンと紅茶を食べる。 居間には、誰もいない。父も母も毎日朝早くから仕事へと向かうから。 いつもの味気ない朝食を食べ終え、玄関へ向かう。 見送ってくれる人は、誰もいない。 しかし、私は他の家庭を羨ましくは思わない。それはいつものことであり、私の日常だから。 |
そうして、いつもどおりに玄関を出ると… 「ひーびっきちゃーん!」 いつも聞いている声が聞こえた…。 その声の主は…高畑灯。私…小川響の幼なじみで…唯一の親友… 「おはよー!」 「あぁ…おはよう…」 「よっし、それじゃあ今日も元気ハツラツに学校に向かいましょー♪」 毎日、いつもどおりでないのは…灯の活発で明るい声だけ…。 「…おーい?響ちゃん?むつかしー顔してないで、早く行こっ!」 「………あ、ごめん……」 学校までは歩いて10分強。程なくして着いてしまう。 クラスは別である灯と別れ、私は2-Cの教室に向かう。 その後の単調な授業、単調な友人達の振る舞い、単調な学校生活…私にとって退屈…通り越して、苦痛でしかなかった……。 午前の授業が終わり…昼休み…。私はいつも、音楽室でフルートを吹いていた。今の頃は、晴れていれば窓から日が射し込み、暖かであった。 単調な生活の中での楽しみ…。すぐ脇では、灯がいつもの通り私の演奏を聴いていた…。 「はう〜…いつもいつも思うけど、いいよね〜、響ちゃんのフルート…」 演奏し終えると、灯が声をあげた。 「…そう?…灯のバイオリンの方が上手いよ…」 これは決して世辞とかそういった類のものではない。事実、灯の演奏は…大げさかもしれないが、魂に響く演奏で…誰が聞いても絶賛する演奏だ。 「えぇ〜、響ちゃんに比べたら、全然だよぉ〜」 そう、照れながら言う灯に、一言加えた。 「交響楽団から…スカウトされたんでしょう…?」 すこし、灯はきょとんした顔を見せた。 「…ありゃ〜、響ちゃん知ってたんだ…。」 「噂が…たまたま聞こえて…。」 灯は細いしなやかな指で頭を掻いて、一呼吸置いてから私に答えた。 「…うん、確かにされたよ…。けどね、断ったの。」 その一言に、私はあっけにとられてしまった。 「え…?…どうして??」 「だって…そのスカウトの人に『響ちゃんは一緒じゃないんですか』って聞いたら、しないって言われたんだもん。」 灯は至極当然のように言ってのけた。 「…私がスカウトされなかったから、って…それじゃあたしの…」 「ううん。響ちゃんのせいじゃないよ。スカウトの人が悪いの」 私なんかの為にそんなことをしたのかと思うと、私は笑うしかなかった。 「……っ…はははは…」 「ベ、別に笑うことないでしょー?!」 「…ふふ…そうだね……ははっ…」 「もー!いつまでも笑ってるとアレ、あげないからねっ!」 「…へ?…アレ?アレって…何?」 「…もう、笑わない?」 頬を膨らませ、怒った顔(あまりそうは見えないけれど)でこちらを睨んでいた灯に、私は素直にわかった、と答えた。 「うむ、よろしい♪」 灯はスカートのポケットから何か入っている袋と、何らかの紙を取り出した。 そして灯はまず袋を開け、中身を取り出した。 「まずは……」 ちょっと妙な顔をしながら、コトリとそれを机の上に置いた。 「…これ…は?」 「お父さんが会社の出張から帰ってきた、って昨日言ったでしょ?で、響ちゃんの分もあるからあげなさい、って…」 私は、はっきり言って反応に困ってしまった…。 置かれたものは…不思議な生物が、サッカーボールをヘディングしているのを形にした硬い鉄製のキーホルダー…。 「…ねぇ…おじさんが出張に行ったのって…大宮…だったよねぇ…?」 「うん…ソニックポリス……ってとこ……けど、それはわざわざ隣の浦和まで買いに行った、って…」 …浦和…サッカー……といえば… 「じゃあ…これは……」 「…そう、お父さんの好きな……浦和レッドの…キーホルダー…。」 …灯のお父さんは…浦和レッドの大ファンで、周りの人が目を覆うほど、ひどいものだと言う…。 「「………」」 長い沈黙があった…。 「ゴホンゴホン!」 突然、灯が咳払いをした。 「えーと、これだけじゃなくて…」 そういうと、袋と別に持っていた紙を机に置いた。 「…檜山渉ヴァイオリンコンサート…2003.5.11(日)、17:00〜……会場、長野県県民文化会館大ホール…」 手にとって、その紙……いや、チケットを読んだ。 「そお!渉さまのコンサートチケットが手に入ったのぉっ!!」 檜山渉…かなりの美形で女性からの人気は抜群……顔だけでなく、天才ヴァイオリニストと各所から言われる確かな腕前の持ち主…。 …そして、灯は彼の大ファン…。 「ね!響ちゃん、行こっ?!」 …こう灯の大きな眼に迫られると、返せる答えは1つだけである。 「…あぁ…うん、行くよ…。」 少し顔を熱くさせて、私は答えた。 「うんっ!約束だよっ!!」 幸い日曜日は予定もなく、暇をもてあそんでいた所だった。 「それじゃ、10時に奥代駅ね〜♪長野で遊びたいし♪」 灯はかわいらしく、にこやかな笑顔を見せて言った。 「うん…いいよ…っ?!」 すると灯は、私が返事をしたと同時に私の胸へじゃれ付くように飛び込んできたのだ。 「あっ…あか…りっ…!!?」 私は慌て、よたつきながらも灯をしっかり受け止めた。 「えっへへ〜♪響ちゃん、大好き〜♥」 「あ…灯…。」 灯の言っている『大好き』が、友達とかに向ける『大好き』なのはわかっている…。わかってるのに、何故… 「…響ちゃん?どしたの?顔真っ赤だよ〜?」 「………なんでも…ない…。」 どうしたのだろう、私は…。何をこんなに紅くなる必要が…。 無言で灯から離れて、音楽室から去ろうとすると… 「響ちゃん!フルート忘れてるよぉっ?!」 その声に気付いて、急いで灯の所まで戻りフルートを手にすると、いきなり腕を掴まれた。 「あ、灯?」 「最後に…アレ、弾かない?」 灯はいつの間にか、もう片手にヴァイオリンを持っていた。 「…何を?」 「アレって言ったら、アレだよぉ…」 灯はそう言うと、私の腕を放し、弓を手にとって演奏を始めた。 それは…懐かしい音だった…。 それは、小学校4年生…今日のような春の日の眩しかった日に、一緒に演奏しよう、と共に練習した……賛美歌111番、神の御子は。 二人で同じ所を間違えて、思わず笑っちゃったっけ…。 ………私は、懐かしさに包まれながら、灯の音にあわせてフルートを吹き始めた。 |
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